前回の「AGA治療はいつから始めるべき?」のブログの中で、AGAの原因としてDHTが増加する経路は一つではない可能性があること、頭皮の物理的な張力が炎症を引き起こしDHTを増加させる可能性についてお話ししました。
今回は、その「アンサーブログ」として、頭皮の筋肉の緊張を緩和することで発毛を促す「頭皮へのボトックス注射」について、最新の研究データを交えて詳しく解説していきます。当院ではコアトックスという製剤を使用していますが、この治療がなぜ薄毛改善に効果があるのか、科学的根拠とともにご紹介します。
AGAの新しい理解:DHTパラドックスと頭皮の張力
従来、AGA(男性型脱毛症)はDHT(ジヒドロテストステロン)という男性ホルモンが毛根を攻撃することで起こると考えられてきました。しかし、この理論には説明できない矛盾がいくつもあります。
DHTパラドックス(DHT理論の矛盾)とは?
DHTは顔や体の毛を濃くする一方で、頭頂部の髪を薄くします。また、男性ホルモンが低下する高齢者でもAGAは進行します。さらに、去勢によってアンドロゲンを95%減少させても、薄毛は止まるものの完全には回復しません。
AGAのメカニズムについて、従来のDHT中心の理論だけでは説明できない現象があります。これに対して、頭皮の機械的ストレスや張力が関与する可能性を示唆する研究もあり、2018年にEnglishらが包括的な仮説モデルを提案しました1。ただし、これはまだ仮説段階であり、主流の医学界で広く受け入れられているわけではありません。
頭皮の張力と炎症の関係(新しい仮説)
この仮説では、頭皮の慢性的な張力が炎症反応を引き起こし、その炎症環境下でDHTが増加する可能性が提唱されています1。頭蓋骨の成長や、帽状腱膜(ガレア)につながる筋肉の過度な発達・収縮が、頭皮に慢性的な張力を生み出します。
興味深いことに、コンピューターシミュレーションを用いた研究では、頭皮にかかる力の分布とAGAの脱毛パターンに相関が認められました1。つまり、最も張力が強くかかる部位が、最初に薄毛になる場所と一致しているということです。
提唱されているメカニズム
- 慢性的な頭皮の張力 → 炎症反応の誘発
- 機械的ストレスによるアンドロゲン受容体共活性化因子(Hic-5)の誘導
- TGF-β1(トランスフォーミング増殖因子ベータ1)の発現増加
- 炎症環境下でのDHTの局所的増加
- 組織の線維化・石灰化による毛包周囲の血流低下
- 酸素・栄養不足による毛包の小型化
重要な注意点
この「張力理論」は、複数の研究で支持される部分もありますが、まだ仮説段階であり、完全に証明されたわけではありません。特に「張力が間接的にDHTを増加させる」というメカニズムについては、今後のさらなる研究が必要です。
ただし、この理論が重要なのは、頭皮の物理的環境を改善することがAGA治療の新しいアプローチになり得るという視点を提供している点です。
ボトックスが頭皮の発毛に効くメカニズム
この新しい理解に基づくと、頭皮の筋肉の緊張を緩和することがAGA治療の重要なターゲットになります。ここでボトックスの出番です。
メカニズム1:筋肉の弛緩による頭皮の張力軽減
ボトックスは筋肉を弛緩させる作用があります。頭皮周囲の筋肉(前頭筋、側頭筋、後頭筋など)にボトックスを注射することで、筋肉の緊張が緩和され、頭皮への張力が軽減されます。その結果、血管への圧迫が軽減され、頭皮の血流量が増加し、頭皮に届く酸素の量も増えることが確認されています2。
頭皮のドラム理論
頭皮はドラムの皮のような構造をしています。ドラムは周囲を強く引っ張ることで張力が生まれますが、頭皮も同様です。周囲の筋肉群が緊張すると、頭皮全体が引っ張られ、内部の血管が圧迫されます。ボトックスでこの筋肉の緊張を解除することで、血管の圧迫が解放され、血流が改善されるのです。
メカニズム2:血流改善による酸素供給の増加
薄毛が進行している頭皮では、毛髪がある部位と比較して血流と酸素が著しく不足していることが研究で示されています1。
ボトックスによって筋肉の緊張が緩和されると、血管への圧迫が解除され、頭皮への血流が改善されます。血流改善により、毛根に必要な酸素と栄養素の供給が増加し、毛髪の成長に適した頭皮環境が整います2。
メカニズム3:TGF-β1の抑制
TGF-β1(トランスフォーミング増殖因子ベータ1)は、男性ホルモンの影響で毛乳頭細胞から分泌され、毛髪の成長を阻害する物質であることが知られています。
研究では、頭皮の張力による機械的ストレスが、Hic-5というアンドロゲン受容体の共活性化因子を誘導し、TGF-β1の発現を増加させる可能性が示唆されています1。
理論的には、ボトックスによって筋肉の緊張が緩和され、頭皮への機械的ストレスが軽減されることで、TGF-β1の発現が抑制される可能性が考えられます。ただし、ボトックス注射がTGF-β1を直接抑制するという臨床データはまだ限られており、今後のさらなる研究が必要です。
臨床研究のエビデンス:実際の効果はどうなのか
研究1:80%の患者で良好な反応
10名の男性AGA患者を対象とした研究では、24週間後に80%の患者で「良好から優秀」と評価される発毛効果が認められました2。この研究では、150単位のボトックスを30箇所に分けて注入し、60週間で3回の治療セッションを実施しました。
📸 実際の治療経過を確認したい方へ
この研究では治療前後の詳細な症例写真が掲載されています。具体的な発毛効果をご覧になりたい方は以下の症例をご参照ください。
症例1 | 症例2 | 症例3 | 症例4 | 症例5
出典:Singh S, et al. J Cutan Aesthet Surg. 2017;10(3):163-167.
研究2:毛髪数の18〜20%増加
複数の研究をまとめたシステマティックレビューでは、5つの臨床研究(165名の男性AGA患者)が分析されました3。反応率(何らかの毛髪の変化が見られた患者の割合)は75〜79.1%で、筋肉内注射による治療では毛髪数が18〜20.9%増加したことが報告されています。また、重篤な有害事象は報告されませんでした。
研究3:フィナステリドとの併用効果
63名のAGA患者を対象とした2020年の中国の研究では、ボトックス注射(100単位を30箇所に注入)を単独で使用した場合、73.3%の発毛成功率が得られました4。経口フィナステリド(1mg/日)との併用では84.8%まで向上したことが報告されています。3ヶ月ごとに計4回の治療を実施しました。
投与量と治療間隔のエビデンス
複数の研究をレビューした結果、1回の治療セッションで30〜150単位のボトックスが使用され、注射の頻度は3週間から5ヶ月の範囲でした5。ほとんどの研究では、最大5回の注射セッションを実施しています。
推奨される治療プロトコル
- 投与量:100〜150単位(頭皮全体に30箇所前後に分散注入)
- 治療間隔:3〜4ヶ月ごと
- 治療回数:2回目以降で効果が顕著になる傾向
髪の毛の伸びるスピードは遅いので、発毛効果を実感するのに最低6ヶ月(2回目の注射以降)〜1年で評価する必要があります。
他の治療法との比較:なぜボトックスなのか
フィナステリド・ミノキシジルとの違い
フィナステリドは5α還元酵素を阻害してDHTの生成を抑制します。ミノキシジルは血管拡張作用で毛根への血流を促進します。
一方、ボトックスは筋肉弛緩による物理的な血流改善と頭皮の張力軽減、そしてTGF-β1抑制という独自のメカニズムを持っています。
これらの治療法は作用機序が異なるため、併用することでより高い効果が期待できます。
育毛メソセラピーとの違い
育毛メソセラピーと呼ばれる頭皮注射は、成長因子や栄養素を頭皮に注入する治療法ですが、エビデンスが限られており、効果のばらつきが大きいのが現状です。使用される製剤や成分も医療機関ごとに異なります。
一方、ボツリヌストキシン治療では以下の特徴があります。
- 明確なメカニズム:筋肉弛緩と血流改善という生理学的根拠が明確
- 副作用の少なさ:ボトックスは長年の使用実績があり、安全性が確立されています
- コストパフォーマンス:3〜4ヶ月に1回の治療で済むため、継続しやすい
- 複数の研究で効果を確認:システマティックレビューで一定の効果が示されています3,5
当院では、エビデンスが限られている育毛メソセラピーよりも、一定の科学的根拠と安全性が確立されているボトックス治療をお勧めしています。
ただし、エビデンスは強固ではないので、標準治療(フィナステリド、デュタステリド、ミノキシジル)を行った上で、効果が不足している場合のみ追加をするか検討し、ボトックス単独での有効性はそこまで高くないと考えています。
安全性について
これまでの臨床研究では、重大な有害事象は報告されていません3,5,7。主な副作用は注射部位の痛みや一時的な内出血や頭痛程度で、通常1週間以内で消失します。
ただし、以下の方は治療を受けられない場合があります:
- 妊娠中・授乳中の方
- 重症筋無力症などの神経筋接合部疾患をお持ちの方
- ボトックス製剤に対してアレルギーのある方
「張力理論」が示す新しい治療戦略
English博士の仮説モデルは、AGAの治療ターゲットとして、線維化、石灰化、そして慢性的な頭皮の張力を特定しています1。
これは、従来のDHT抑制だけでなく、頭皮の物理的環境を改善することがAGA治療に重要である可能性を示唆しています。
ボトックス注射は、この新しい理論に基づく治療法の一つとして、以下の効果が期待できます:
- 頭皮の張力軽減:周囲の筋肉を弛緩させることで、頭皮への慢性的なストレスを軽減
- 炎症の抑制:張力による機械的ストレスが減少し、炎症反応が軽減される可能性
- 血流改善:血管への圧迫が解除され、酸素と栄養の供給が改善
- DHT生成環境の改善:酸素供給改善による間接的な効果の可能性
頭皮マッサージは効果があるのか?
「頭皮の張力を緩和することが重要なら、マッサージやトントン叩くような刺激も効果があるのでは?」と思われる方も多いでしょう。実際、頭皮マッサージについてはいくつかの研究が行われています。
頭皮マッサージのエビデンス
研究1:健常者での毛髪の太さ改善
2016年に日本で行われた研究では、健康な男性9名が1日4分のスタンダード化された頭皮マッサージを24週間継続した結果、毛髪の太さが約10%増加しました(0.085mm→0.092mm)8。この研究では、機械的な伸展刺激が毛乳頭細胞に作用し、毛髪の成長に関連する遺伝子発現を変化させる可能性が示されました。
研究2:AGA患者での自己評価調査
2019年の大規模調査(327名のAGA患者)では、1日11-20分のマッサージを平均7.4ヶ月継続した人の68.9%が「脱毛の安定化または再成長」を報告しました9。累積で約36時間のマッサージで効果が見られ始め、8ヶ月継続した人では反応率が75%に達したとされています。
頭皮マッサージの限界と注意点
マッサージは決して「無駄」とは言えず、多少なりとも効果は期待できるかもしれません。ただし、これらの研究には重要な限界があることも認識が必要です。
- 客観的評価の不足:最も大規模な研究(327名)は自己評価ベースの後ろ向き調査で、プラセボ対照がありません9。一方、客観的に毛髪の太さを測定した質の高い研究は9名の健常者のみが対象でした8。
- 継続の困難さ:毎日20分程度のマッサージを数ヶ月継続する必要があり、実際には挫折する人が多い
- 一時的な脱毛増加:マッサージによって休止期の毛が物理的に抜けてしまう可能性があり、12週時点で毛髪数が5%減少したという報告もあります8
ボトックスとマッサージの違い
頭皮マッサージとボトックス注射は、どちらも「頭皮の張力を緩和する」という点では共通していますが、そのメカニズムと実用性は大きく異なります:
| 特徴 | 頭皮マッサージ | ボトックス注射 |
|---|---|---|
| メカニズム | 機械的伸展による毛乳頭細胞への刺激 | 筋肉弛緩による持続的な張力軽減 |
| 効果の持続 | マッサージ中のみ | 3〜4ヶ月持続 |
| 必要な時間 | 毎日20分×数ヶ月 | 3〜4ヶ月に1回の施術 |
| エビデンスレベル | 小規模研究のみ | 複数の臨床研究で一定の効果 |
| 継続のしやすさ | 挫折しやすい | 通院のみで継続可能 |
当院の見解
頭皮マッサージは、副作用のない自宅ケアとして試してみる価値はあるかもしれません。ただし、毎日の長時間マッサージを継続することは現実的には困難であり、エビデンスレベルもまだ限定的です。
一方、ボトックス注射は、3〜4ヶ月に1回の施術で筋肉を持続的に弛緩させ、複数の臨床研究で効果が確認されています。実用性とエビデンスのバランスを考えると、より現実的な治療選択肢といえるでしょう。
もちろん、マッサージとボトックスの併用もお勧めです。日常的なセルフケアとしてマッサージを取り入れつつ、より確実な効果を求めてボトックス治療を受けるというアプローチも検討できます。
薄毛治療は標準治療をベースに最新のアプローチを
頭皮へのボトックス注射は、まだ比較的新しい治療法ですが、複数の臨床研究でその有効性が示されつつあります。
特に注目すべき点は以下です。
- 明確な生理学的メカニズムがある
- 複数の研究で一定の効果が報告されている2,3,4,7
- 副作用が少なく安全性が高い3,5,7
- 3〜4ヶ月に1回の治療で済むため継続しやすい
- フィナステリドなど他の治療との併用で効果が向上4
治療効果の現実的な見通し
ただし、過度な期待は禁物です。研究では毛髪数の増加は18〜20%程度にとどまり3、全ての患者に効果があるわけではありません。反応率は75〜80%程度で2,3、約20〜25%の方には十分な効果が得られない可能性があります。また、エビデンスレベルはまだ限定的で6、大規模なランダム化比較試験による検証が今後必要です。
当院では、発毛作用のあるミノキシジルとの併用療法として、男性ではフィナステリド・デュタステリド、女性ではスピロノラクトンや低用量ピルを組み合わせた標準的な治療を推奨しています。ボトックス注射は、これらの標準治療で効果が不十分な場合や副作用の観点から使用できない場合に、追加で検討する選択肢と位置づけています。単独での使用は推奨しません。
ボツリヌストキシン注射(コアトックス)の料金
| 項目 | 料金(税込) |
|---|---|
| 診察料 | 初診料 3,850円 再診料 1,650円 |
| 頭皮 コアトックス注射 | 100単位 44,000円 150単位 58,300円 |
当院ではボツリヌストキシン製剤として「コアトックス」を採用しています。詳しくは「ボツリヌストキシン治療」のページをご参照ください。
薄毛でお悩みの方は、ぜひ一度診察にお越しください。あなたに最適な治療プランを一緒に考えていきましょう。
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